最後の急行、最後の蒼い客車。「はまなす」乗車記(上)
3月26日の北海道新幹線開通に伴ない、海峡線を通る在来線優等列車が全廃される。昭和63年以来、四半世紀以上にわたって青森と札幌を結びつづけた最後の定期客車急行「はまなす」もいよいよ終焉を迎える。去年の10月、最初で最後の乗車機会に恵まれた。
札幌駅4番線、21時。
10月28日夕方、小樽駅のみどりの窓口にて青森往復きっぷを買い求める。この切符は、札幌市内ー青森・弘前間の往復が20,060円で、しかもはまなすのB寝台も利用できるという切符だ。正規運賃ではまなすに乗ると片道で15,000円はしてしまうから、かなりお得だ。
ただ、出発地が札幌のみなので、東京在住の私は空路で北海道入りし、現地で切符を購入して札幌〜青森までを往復し、ふたたび千歳から帰京するという強行スケジュールの旅行なのだ。しかも、乗車当日に人気の高いはまなすB寝台を予約するというリスクもある。10月の水曜日というオフシーズンではあったが、果たせるかな下段はすべて売り切れていた。それでも、上段が取れただけよしとしなければ。
ススキノで腹ごしらえし、札幌駅へと向かう。1時間前ではあるが、すでに発車案内には「はまなす」の文字が現れている。
10月末の札幌の夜は、すでに気温2、3度だ。ホームに立っていると、ダウンを着ていてもカラダの芯から冷えてくる。
まさかのマヤ検
21時40分、手稲方から回送列車が入線してくる。すると、DD51次位に何か付いている。なんと、伝説のマヤ検ではないか! どおりでカメラを持った衆が多いはずである。
DD51のディーゼル音を楽しむためにわざわざ一番前の1号車を指定したのに、これだとマヤ50、さらに控車のスハフ14が間に挟まってしまう。編成美もイレギュラーだ。「ふだん着のはまなす」を求めてはるばる北海道まで来た身としてはとんだ誤算である。
牽引機のDD51-1143は、昭和50(1975)年7月日立製作所にて落成。新製配置は岩見沢第二機関区。現在は函館運輸所所属。
とはいっても希少な機会なので、マヤ50を写真に収める。
6軸のTR202A台車に、165系や485系、14系座席車でもおなじみのAU13形分散型冷房装置が4基。さらにマンションみたいな観測用の出窓も付いた外観はやっぱり異様だ。マヤ34は、系譜としては10系客車の末裔となる。今も走っていることが奇跡だ。
マヤ34登場時の日立製作所による技術解説
日立評論1967年6月号 高速軌道試験車マヤ34
それにしても、この14系の車体は北海道の風雪と、青函トンネルの湿気と塩分に30年間晒され続けてきただけのことはある。「他のブルートレインだと、車両の老朽化に伴ない運転を取りやめます、って言われても嘘つけ!って思うんだけど、はまなすの場合はそう言われたら納得しちゃうよな」誰かがそんな風に言っていた。そんなはまなすが、ブルートレイン無き後も最後の客車寝台急行列車として走り続けるとは誰が思っただろうか。やはり、需要があったのだ。良くも悪くもそれが現実だ。
発車時間が近づいて来たので4番ホームへと上がる。寒々しい蛍光灯に照らされたプラットフォームに、蒼い客車が佇んでいる。ディーゼル発動機の匂いと騒音。暖かそうな車内では、大きな荷物を持った乗客たちが自分の席を探してせわしなく動き回っている。
まさに、中島みゆきの「ホームにて」の世界である。
♪ 振り向けば 空色の汽車は
いまドアが閉まりかけて
灯りともる 窓の中では 帰りびとが笑う
歌では、客車を空色と表現することで一種メルヘンチックな世界観を作り出しているが、空色の汽車・・・色褪せた10系客車だろうか?
優しい駅長の声が町中に響くということは、ホームは地平で、おそらく改札口と繋がっている1番線ホームだろうか? などいろいろと想像してしまうものだ。そういえば、中島みゆきの出身も北海道だった。
こんな光景も、あと半年あまりで完全に過去のものとなってしまう。
最後の開放B寝台
1号車はオハネフ25-7。この★★★の乗降扉をくぐるのも生涯最後だと思うと感無量だ。
乗客を無愛想に迎えてくれる国鉄スタイルのデッキ。始発駅でチケットを持たずに寝台車の車内を覗いたときにはよそよそしく立ちはだかる寝台室のドアも、チケットを持って乗り込むときには一転して自分を歓迎してくれるかのように感じるから不思議である。
チケットを片手に自分の寝台を探す。同じコンパートメントの下段は女性2名だったので、遠慮がちに通路側の折りたたみ椅子に陣取り、静かに缶ビールを開ける。
22時ちょうど、牽引機のDD51-1143がひときわ高いホイッスルを響かせると、列車は静かに動き出した。
202レ。由緒正しき急行列車の列車番号である。
JR北海道の若い車掌さんのアナウンスはとても丁寧で明瞭である。おそらく札幌車掌所所属か。はまなすの車掌さんは、車内放送の文言を書き込んだ厚いノートを持ち歩いていると聞いたことがある。その写真も見せてもらったのだが、たしかに丁寧に細かい文字がびっしりと書き込まれていた。
車内検札も、ベテランの車掌さんと若い車掌さんのペアで回っていて、ベテランの車掌さんが色々と手ほどきしている。この「職場」も、あと半年でなくなってしまうのだ。
列車は、札幌を出てわずか10分ほどで新札幌に停車する。この新札幌駅というのは、札幌市の副都心的な立ち位置の駅なのだが、どうにも優等列車の停車駅という風格に乏しいのである。北海道の駅というのはだだっ広い構内の片隅にぽつんと旅客ホームが佇んでいるのが正しい姿だと思うのだが、高架に対向式ホーム2面2線だけというコンパクトな出で立ちは、まるで武蔵野線の駅みたいなのだ。いや、中線があるだけ武蔵野線の駅のほうが立派かもしれない。ここが夜行急行の最初の停車駅というのはどうも旅情に欠けるのだが、乗降客数は札幌、手稲に次ぐ道内3位らしいので仕方ない。
千歳22時36分、南千歳22時41分と列車はこまめに停車していく。苫小牧あたりでもう辺りは真っ暗で、街灯もない。
DD51の機関士さんは若かったが、発車時の引き出しのショックは全くない。先の車掌さんといい、JR北海道の現場の職員さんは皆素晴らしく頑張っていると思う。
ショックのない運転のせいか、今朝早起きだったせいか、気づくと眠ってしまっていた。
(つづく)
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