最後の東海型。しなの鉄道の169系湘南色

最後の東海型。しなの鉄道の169系湘南色

2013年4月まで、しなの鉄道ではかつて信越本線の急行「信州」「妙高」「志賀」等で活躍した国鉄急行形電車の169系が活躍していた。2011年6月まではJR東日本篠ノ井線経由で長野駅まで直通し、かつての盟友189系と顔を合わせる場面もたびたび見られた。横軽廃止から四半世紀が経ちながらも、信越本線のかつてのエースたちが健在だったあの頃を振り返る。

湘南色に復元された169系S52編成

平成の時代も終わりを告げようとするなか、583系、485系など旧国鉄型車両の淘汰が急速に進んでいる。2011年時点ではちょっと足を伸ばせば、まだまだ国鉄型車両があちこちで元気に走っていた。しなの鉄道の169系はその中でも最古参の部類で、昭和44(1969)年製造。2011年の時点で車齢42年というオールドタイマーだった。しなの鉄道に譲渡後は地域塗装に変更されていたため、地味な存在だったのだが、2008年ごろから伝統の「湘南色」への復元が行われるようになり、在りし日の国鉄直流急行形電車の勇姿がふたたび見られるようになったのである。

ところが、不幸にも2011年に福知山線脱線事故を契機とした省令の改正があり、ATS-Pの搭載されていない169系のJR東日本乗り入れが廃止されることが決まった。軽井沢〜長野間を走破する169系を見られるのはあとわずかということになり、私は急きょ長野に向かったのである。

あれは2011年3月の下旬だった。大震災からわずか2週間。計画停電の東京では、まだ寒さの残る中、人々は暖房を消し、部屋の片隅で身体を寄せ合うようにして静かにうずくまっていたころだ。私は、新宿発長野行きの夜行バスの車中にいた。こんな時に急行妙高が残っていれば…などと20年以上前のスジを懐かしんでも仕方がない。169系の運用を追うための苦肉の策だった。

長野5時58分発普通列車軽井沢行き

長野駅に停車する169系S52編成
長野駅に停車する169系S52編成

まだ雪の残る長野駅のホームに降りると、169系S52編成はすでに5番ホームに据え付けられていた。昭和38(1963)年10月1日の信越本線長野電化のその日から、長野駅は165系のホームグラウンドである。半世紀近く見られた光景もあと3カ月あまりである。

5時58分。「上野おばさん」のアナウンスに見送られて長野を定刻どおり発車。国鉄型には「上野おばさん」の声が似合う。乗客は1両に1,2名いるかいないか。休日の上り始発列車だからこんなものだろう。

電車は長野を出るとしばらくは構内の分岐器をゆっくりと進むが、すぐにスピードを上げ、長野盆地を快走する。

169系車内。急行型の特徴とも言える1mの幅広ドア
169系車内。急行型の特徴とも言える1mの幅広ドア

一面の霜に覆われた犀川の土手を一気に渡り切る。

169系、車内点描

どこを見ても無骨な国鉄型車両の内装。

169系車内。妻面の明かり取り窓
169系車内。妻面の明かり取り窓

妻部に窓がある車両も最近見かけなくなった。窓の向こうに見えているのは便所のベンチレータ。

169系車内。デッキ天井のルーバー吹き出し口。
169系車内。デッキ天井のルーバー吹き出し口。

デッキ天井のルーバー吹き出し口。

169系車内。デッキの非常用ドアコック。
169系車内。デッキの非常用ドアコック。

非常用コック。

169系車内。整然と並んだ上段下降・下段上昇式のユニット窓
169系車内。整然と並んだ上段下降・下段上昇式のユニット窓

整然と並んだ上段下降・下段上昇式のユニット窓。なお、座席はリクライニングシートに換装されている。

製造銘板は昭和43(1968)年日本車両
製造銘板は昭和43(1968)年日本車両

製造銘板は昭和43(1968)年日本車両とある。

列車は1時間半ほどで終点の軽井沢に到着。隣にはEF63-2号機が止まっている。横軽廃止から24年が経過してもかつてのコンビがこのように顔を合わせているのは不思議なようでもある。

上田駅にて

169系の運用は短い折り返し時間で組まれているので、駅で写真に収められるチャンスがなかなかない。軽井沢駅は島式ホームの1面2線なので撮影には向かないし、長野駅では橋上駅舎があるため光線がよくない。いろいろ探した結果、上田駅では反対側のホームからちょうどよい具合に編成を収めることができた。

169系S52編成
169系S52編成

端正な「東海型」のマスク。貫通幌が凛々しい印象だ。大事なアイテムが、オレンジ色の密着連結器のカバー。国鉄時代と変わらぬ形状と色だ。

クモハ169-6
クモハ169-6
165系・169系の特徴である窓上部の塗り分け
165系・169系の特徴である窓上部の塗り分け

窓上の緑の塗り分けのデザインはいつ見ても秀逸さに感心させられる。

クモハ169床下の主抵抗器とブロワー通気口
クモハ169床下の主抵抗器とブロワー通気口

上野方の電動制御車(Mc)クモハ169。主制御器・主抵抗器を搭載する。当該車両は現在も軽井沢駅に保存されている。この国鉄湘南色への復元に当たっては、横軽区間はすでに存在しないにも関わらず車両番号に横軽対策識別マークの丸印を付けるという凝りようだった。

モハ168のパンタグラフと連結部分。
モハ168のパンタグラフと連結部分。

モハ168のパンタグラフとクモハ169の連結部。クモハ169の車端部には貴重な白Hゴムの窓が残っているが、便所の明かり取りだろうか? いずれにしても、便所は使用停止されていた。

モハ168-6
モハ168-6

中間電動車モハ168 (M’)。電動発電機(MG)・MH113A-C2000M形空気圧縮機(CP)・パンタグラフを搭載する。

モハ168床下のMG(MH97A-DM61A)。
モハ168床下のMG(MH97A-DM61A)。
クハ169-19
クハ169-19

こちらが、長野方の制御車クハ169 (Tc) 。民営化後に、踏切事故での運転士保護を目的とした前面強化が行われたため、外板に段差が生じている。

ハイライト1:長野駅にて、189系との並び

169系のハイライトは、何といっても長野駅で「妙高号」として運用されていた189系との並びであろう。かつてL特急あさま、急行信州として信越本線の花形として活躍した両雄が顔を揃える風景だ。長野所属の183・189系も1編成が2012年10月に国鉄色に復元されたが、残念ながらその頃には169系は長野駅から撤退していたため、国鉄色での顔合わせは残念ながら実現しなかった。

ハイライト2:かつての急行を彷彿とさせるMT54の咆哮

また、もう1つのハイライトは169系で運用されたしなの鉄道の快速だろう。たとえば軽井沢8時39分発の長野行き快速は74.9kmを1時間14分で走破し、表定速度は60.7km/h。かつての急行「妙高1号」は軽井沢9時1分発、長野着10時17分だから、これより速い。※昭和53年4月当時。

MT54は189系・485系等の特急型にも使用されているモーターだが、歯車比の違い、また特急より床下の遮音などが施されていないためだろうか? 169系や475系などの急行形で聞くモーター音の咆哮が、いちばん迫力があるように感じられる。同日に快速の上田〜長野間でモハ168-6のデッキで収録した走行音があるのでぜひお聞きいただきたい。

篠ノ井〜軽井沢間に運用範囲の狭まってしまった169系は一線を退き、2年後の2013年4月をもって引退することとなる。その際も急行信州のリバイバル運転が実施されたのだが、それはまたの機会に紹介することとしたい。

本日はご乗車まことに有難う御座います。
恐れ入りますが、お手持ちの乗車券を拝見させていただきます。
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