総力特集 さらば月光形581・583系

総力特集 さらば月光形581・583系

2017年4月8日。ついにゴッパーサン引退の日が来てしまった。1992年上野駅、在りし日の「ゆうづる」「はくつる」から、2016年尾久公開まで、過去に撮影した写真から、583系の在りし日の姿を振り返ってみたい。

高度成長期まっただなか1967年10月のデビューからちょうど半世紀。その波乱に満ちた生涯はいま改めてここで語る必要もあるまい。彼女たちのたどった道のりは決して恵まれていたとはいえないが、その重厚感あふれるデザインと機能美は、ファンを魅了してやまない。その黄金時代はすでに私の生まれる前に終わっていたが、それでも過去のネガを引っ張り出すと、その優美な姿は何度となくシャッターに収められている。

1992年12月。在りし日の寝台特急「ゆうづる」「はくつる」

上野駅17番線ホームにたたずむ583系「はくつる」。1992年12月
上野駅17番線ホームにたたずむ583系「はくつる」。1992年12月

1992年、当時中学1年だった私は、ある日「そういえば、583系ってまだ走ってるんだあ!」と気付き、夜の上野駅に向かったのである。そう、25年前にして、583系はすでに「まだ」走っている車両だったのだ。無理もない。当時福島の実家に帰ると583系から改造された「食パン電車」715系によく出くわしたからだ。すでに583系は第一線を退いた電車だったのだから。

今はなき上野駅18番ホームに停車中の583系寝台特急「ゆうづる」
今はなき上野駅18番ホームに停車中の583系寝台特急「ゆうづる」

当時の上野駅にカメラを持って583系を待ち構える者の姿など皆無だった。乗客もまばらだったように思う。果たせるかな、ゆうづるは翌1993年の合理化で廃止されてしまった。はくつるも94年には24系25形に置き換えられ、583系の本来の姿である寝台特急列車への定期運用は姿を消してしまった。

1993年3月。最後の東北優等列車たち。東大宮操車場にて

昼下がりの東大宮操車場でヒルネする583系と485系。どれも9連で堂々たる編成だった。1993年3月。
昼下がりの東大宮操車場でヒルネする583系と485系。どれも9連で堂々たる編成だった。1993年3月。

1993年3月、ふと「東大宮に行けば583に逢えるんじゃ!?」と思い立ち、駅を降りて徒歩で操車場へ。期待通り、「ゆうづる」「はくつる」の583系、そして臨時「津軽」の盛アオ485系9連のヒルネに出くわすことができた。東北新幹線開業前とは比べものにならないが、それでも東北方面の優等列車がまだまだ健在だった頃だ。

1991年。食パン電車715系

クハ715-1000番台。クハネ581形改造の上り方(黒磯方)制御車。
クハ715-1000番台。クハネ581形改造の上り方(黒磯方)制御車。1991年ごろ、福島駅にて
食パン電車こと、クハ715形1100番台。サハネ581形改造の下り方(一ノ関方)制御車。1991年ごろ、福島駅にて

そして、食パン電車715系。同じ普通列車でも、これが来ると嬉しかった。とはいえ、その他の車両も急行形455系だったりなので、今となってはゼイタクな話だ。元が3段寝台なので窓は上下に狭く、上段の寝台は収納した状態のままだったので、車内は異様に狭く暗かった記憶がある。加速時、ノッチを上げるごとに大きな車体がガクガク振動したのを憶えている。いまも門司港鉄道記念館に行くと715系の車内に立ち入ることができ、懐かしい気分になる。ちなみに、東北地方の715系は1998年には廃車となった。同じころ、まだ東北本線の臨時「はくつる」として583系は健在であったのである。

最後の夜行電車運用「急行きたぐに」

2011年7月、新潟駅地平ホームに到着した「急行きたぐに」。廃止の8カ月前だが、繁忙期ということもあり増結され堂々の12連だった。
2011年7月、新潟駅地平ホームに到着した「急行きたぐに」。廃止の8カ月前だが、繁忙期ということもあり増結され堂々の12連だった。

定期「はくつる」が24系25形に置き換えられ、583系を使用した定期列車の夜行列車運用は大阪ー新潟間の「急行きたぐに」のみとなった。この「きたぐに」の直江津ー新潟間で自由席に乗ったのが、わたしの唯一の583系乗車の思い出だ。当時は学生で、東京在住の身で大阪ー青森の全区間を乗り通す余裕はなかった。直江津の駅前旅館に泊まり、翌朝早起きして、直江津6時23分発の下りきたぐにに乗車した。

1998年9月。下り急行きたぐに501M、自由席2号車内にて。
1998年9月。下り急行きたぐに501M、自由席2号車内にて。モケット、妻部のドア等アコモデーションは改造されている。

当時でも、自由席はガラガラだった。これからよく10年以上も残ったものだ。夜行列車がつぎつぎと廃止されていくなか健闘していたが、2012年3月のダイヤ改正で寝台特急「日本海」とともに臨時格下げとなり、ほどなく時刻表から消えた。

臨時寝台特急「あけぼの81号」

臨時あけぼの81号。やはり583系には、薄暗い上野駅地平ホームが似合う。2012年12月29日。
臨時あけぼの81号。やはり583系には、薄暗い上野駅地平ホームが似合う。2012年12月29日。

2012年の年末、突如設定されたのが583系を使用した臨時の「あけぼの81・82号」だ。運転区間は上野ー弘前間。廃止がささやかれる「あけぼの」に臨時列車が設定されたのは16年ぶりであり、久々に明るい話題を振りまいた。その一方で、583系がそろそろ廃車となる日が近いからだとも言われた。時刻表に掲載される列車、つまり団臨以外で583系がかつてのホームグラウンドである上野駅に姿を見せたのはこれが最後ではなかっただろうか。

月光形の車内について

北九州市門司港の九州鉄道記念館に保存されているクハネ581-8

ここで、世界初の昼夜兼行電車の室内を、九州鉄道記念館に保存されているクハネ581-8の写真で振り返ってみたい。クハネ581-8は昭和42(1967)年に日立製作所で新製され、1984年には小倉工場にて715系に改造された。1998年に引退したが小倉工場にて保存され、九州鉄道記念館のオープンに合わせて公開され、現在に至る。外観は前面の特急エンブレム、サイドのステンレス切り抜き文字のJNRマーク、側面の中・上段寝台用の明かり取り窓の再設置など、可能な限り581系に近づける復元が行われたが、車内は車端部にロングシートの残る715系時代のものとなっている。

クハネ581-8の行き先方向幕。
クハネ581-8の行き先方向幕。

行き先方向幕は月光形の由来となり、さらに九州ゆかりの列車でもある「月光」の方向幕が掲出されている。ただ、オリジナルの国鉄書体ではないのが残念だ。

乗務員室後部のルーバーが581系の特徴。なかには電動発電機 (MG) と空気圧縮機 (CP) が収められている。583系では小型化され、運転席の真下に移っている。大きな鎧戸タイプのルーバーが古めかしい印象を感じさせる。折り戸となっているのは、戸袋のスペースがデッドスペースとなるため。

581系座席使用時の状態
581系座席使用時の状態

座席使用時の状態だ。特急なのにボックスシートとは!と思われるかも知れないが、シートピッチは1,970mmと、もちろん113系などに比べてダンゼン広いし、背もたれは傾斜しているので座り心地はよい。また、独特の包まれ感があって非常に落ち着く。とはいえ、いち早く昼行特急の定期列車から引退したのはやはり昼行特急としてのサービスレベルに問題あり、とされたからだろう。

581系寝台使用時の状態
581系寝台使用時の状態

寝台展開時。両側のシート背擦りと座面を引き出し寝台とする。下段は座席2名分あるので幅106cmと、現在のホテルのベッドと遜色のない広さだ。3段なのでさすがに高さはないが・・。

583系のベネシャンブラインドを閉じた状態。
583系のベネシャンブラインドを閉じた状態。

なお、カーテンは座席・寝台展開時の邪魔となるため、二重窓の間にベネシャンブラインドを設置する方法となっている。開閉と上下は右側のハンドル(写真では、なくなってしまっている)で行なう。このブラインドを閉じていると、外見上も非常に目立つものだった。

【総力特集 さらば月光形581・583系 後編はこちら】

本日はご乗車まことに有難う御座います。
恐れ入りますが、お手持ちの乗車券を拝見させていただきます。
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