最後の急行、最後の蒼い客車。「はまなす」乗車記(下)

最後の急行、最後の蒼い客車。「はまなす」乗車記(下)

3月26日の北海道新幹線開通に伴ない、海峡線を通る在来線優等列車が全廃される。昭和63年以来、四半世紀にわたって青森と札幌を結びつづけた最後の定期客車急行「はまなす」もいよいよ終焉を迎える。去年の10月、最初で最後の乗車機会に恵まれた。第2回は、函館から青函トンネルを抜けて終着青森へと向かう。

前回の記事はこちら

最後の急行、最後の蒼い客車。「はまなす」乗車記(上)

上編は、札幌駅からマヤ34を引き連れて千歳線、室蘭本線を上る。札幌発車後の車内放送も完全収録。

函館で1時間の停車

B寝台の上段で目が覚めた。時計を見ると、函館まであと20〜30分という時刻である。上り急行はまなすは、函館本線の優等列車で唯一海沿いの砂原支線(大沼駅 – 渡島砂原駅 – 森駅間)を通る列車なのだが、真っ暗で海を眺めるどころではない。

そうこうするうちに、列車は函館駅構内に入ったようだ。いくつものポイントを通過し、列車は函館駅のホームへとすべり込んだ。2時52分。青函トンネルの工事に伴ない函館発時刻は3時56分へと変更されているので、1時間あまりの「バカ停」だ。

ここまではまなすをエスコートしてきたDD51とは函館でお別れだ。DD51は”夜勤”を終えてねぐらの函館運輸所へと帰る。
ここまではまなすをエスコートしてきたDD51とは函館でお別れだ。DD51は”夜勤”を終えてねぐらの函館運輸所へと帰る。

函館にて、DD51と”便乗者”マヤ34とは別れを告げる。

客車から切り離されるDD51。機関士さんはベテランに交代していた。
客車から切り離されるDD51。機関士さんはベテランに交代していた。
函館駅の通路に掲げられたホーロー看板が歓迎してくれる。
函館駅の通路に掲げられたホーロー看板が歓迎してくれる。

1時間の余裕があるので、駅構内をぶらつく。駅改札へと向かう通路には、「ようこそ函館へ。」と書かれたサッポロビールのホーロー看板が並び、旅情を醸し出している。

この通路の突き当たり右に、喫煙室がある。屋根もあり、なんといっても屋内だ。青森駅ホームの喫煙所が冬には拷問と化すのとは対照的だ。

海峡線の牽引機はED79

五稜郭方には、海峡線のヌシED79が連結される。

五稜郭方にはED78が連結される。
五稜郭方にはED79が連結される。
赤い交流機関車と、青い14系座席車。
赤い交流機関車と、青い14系座席車。

赤い交流機関車と、青い14系座席車。「八甲田」や「十和田」「津軽」でも見られた東北地方の客車急行の名コンビだ。

急行はまなすの行先表示幕
急行はまなすの行先表示幕

行先表示幕は、国鉄書体とは若干異なるゴシック体だ。

函館〜青森の牽引機ED78-12〔函〕
函館〜青森の牽引機ED79-12〔函〕

今日のヘッドマークは白。こちらのほうが赤よりレアなそうだ。

ED79は、改造前のED75を含めて考えると、定期運用を持つ電気機関車としては昭和38(1963)年と最も運用開始年が古い形式である。東日本大震災で被災したED75-1039をはじめ、早くも1980年代にはEF81に駆逐されるなど、どこか不運の影のちらつくED75一族であるが、まさか、EF81より長く定期運用を持つとは誰が想像しただろうか。

その黄金期は民営化後、青函トンネル開通後に訪れた。北斗星、エルム、日本海、カシオペア、トワイライトエクスプレス、そして「はまなす」。ED79は最後まで津軽海峡線のヌシとして華々しい夜行列車の牽引機として活躍することができた。幸せな機関車だったのではないか。

14系座席車へ

寝台車は車内放送が入らない。それに、希少な14系座席車に乗るチャンスはこれまでもなかったし、これを逃せば今後もチャンスはない。ということで、いちばん先頭のスハフ14-502へと移動する。

いや、JR四国の多度津工場で保留車となっている14系座席車が東武鉄道へと移籍するので、乗るチャンスは大いにあるだろう。だが、国鉄色をまとうとは考えづらいし、車内だって水戸岡デザインなどで大改造されてしまう可能性もある。

北斗星、トワイライト無き後も、どっこい「はまなす」「カシオペア」の客車列車コンビが残った。
北斗星、トワイライト無き後も、まだまだ「はまなす」「カシオペア」の客車列車コンビが残っている。
14系座席車の乗降口ステップ
14系座席車の乗降口ステップ

この乗降口ステップを上がる瞬間を噛みしめる。

自由席はガラガラだ。
自由席はガラガラだ。

自由席はガラガラだ。座席を向かい合わせにして、足を伸ばしてゆっくりできそうだ。

14系座席車スハフ14の車内
14系座席車スハフ14の車内
14系座席車スハフ14の車内
14系座席車スハフ14の車内
14系座席車スハフ14の妻板
14系座席車スハフ14の妻板

急行はまなすには、いくつの「最後の」がある?

列車は、定刻の3時56分に函館を発車。函館名物の発車メロディーもなく、静かな旅立ちだ。車内放送も、発車前には1回あったものの、出発後の車内放送はない。列車は五稜郭を過ぎ、江差線のカーブの多い単線区間をそれほど速くないスピードで走り続ける。

この、お世辞にも俊足とはいえない急行列車は、この日函館から青森まで2時間23分を掛けて走る。北海道新幹線の開通後、函館→青森は最短1時間49分(函館19時06分発、青森20時55分着)となる。はまなすに比べて時間は34分短縮されるが、乗り換えは2回、待ち時間がじつに23分を占める。もっと乗り継ぎが悪いと、2時間40分以上かかる時間帯もある。スーパー白鳥と比べれば、時短効果はもっと薄れる。吹雪のなか、新青森駅や新函館北斗駅で長時間列車を待つ旅人の気持ちはいかほどだろう。果たして新幹線が通って「津軽海峡が近くなったね」「便利になったね」と言われるだろうか。

閑話休題。やがて列車は高規格の海峡線へと入る。いくつかのトンネルを抜け、ホイッスルがひときわ鋭く響くと、列車は青函トンネルへと突入する。湿度で窓ガラスは水滴で覆われる。

さて、この急行「はまなす」だが、実はJR化後の1988(昭和63)年に登場した列車だ。登場から28年が経過しているが、国鉄時代には存在しなかった比較的新参の列車だ。このころには、まだ北海道には「大雪」「まりも」「利尻」の夜行急行が、14系座席車+寝台車という「はまなす」と同じような編成で運転されていた。天北線もまだ廃止1年前だったので、昼行列車ながら14系寝台車をヒルネ運用した急行「天北」もまだ残っていた。

個人的には、タイムマシンで過去に遡り、どの列車でも乗ることができるとしたら、急行天北を選びたい。

1986年・急行天北乗車記(日本の車窓・雨男の紀行文)

昼行列車にもかかわらず、14系開放寝台を連結している。おそらく混んではいないだろうから、コンパートメントを1人で独占して、荒涼たる天北原野の風景を何も考えずに眺めたい。「天の北」とは、これ以上寂しげな旅情を醸し出す名称もあるまい。

その他にも、まだまだ「ちとせ」や「狩勝」などの昼行急行も地味ながら残っていた。

僚友が次々と特急格上げなどで姿を消していくなかで、急行はまなすは孤高の急行として残った。まさか、北斗星よりも生き永らえるとは誰が想像しただろうか。

さて、急行「はまなす」に冠せられる「最後の」という形容詞はいくつあるのだろうか。

◯国鉄・JRにおける最後の定期急行列車
2012年3月きたぐに廃止後。1894年の山陽鉄道以来112年の歴史に幕。官設鉄道に限定すると1895年以降111年。私鉄を含めれば「急行券」が必要な定期急行は大井川鐵道でほぼ毎日運転されている「かわね路1号・2号」が残る(大手私鉄の無料急行はもちろん除く)。

国鉄・JRにおける最後の客車を使用した定期列車
2015年3月北斗星廃止後。これはもう、日本の鉄道開業以来継続している記録だから、1872年の汐留〜横浜開業以来144年続いてきた客車列車の歴史に幕、ということになる。

私鉄を含めれば「急行券」が必要な定期急行は大井川鐵道でほぼ毎日運転されている「かわね路1号・2号」が残る。完全毎日運転だと、大井川鐵道井川線の列車が最後。しかもアプト式だ!

◯日本における最後の国鉄型新型客車(いわゆる14系・24系などの青い新型客車)を使用した定期列車
2015年3月北斗星廃止後。はまなす廃止後は、秩父鉄道のパレオエクスプレスの12系客車がいちばん運転頻度が多く、いちばん原型に近い「国鉄型客車で運用される列車」ということになろうか。数年前に変ちくりんな魔改造を施されてしまい、ハイケンスのセレナーデも聞けなくなってしまったが、急行形車両の面影は多分にある。車内には「尾久客車区」のステッカーが残っていたはずだ。
なお、旧型客車を含めれば、これも大井川鐵道で「ほぼ」毎日運転されている「かわね路1号・2号」が残る。

◯日本における最後の開放寝台を連結した定期列車
2015年3月北斗星廃止後。日本初の寝台車が1900年の山陽鉄道に登場した以来、と考えると116年の歴史に幕。

◯DD51による定期列車牽引の終了
はまなすはブルートレインではないが、広義のブルートレインとしては1965年以降51年間継続中? 旧客などの旅客列車も含めればDD51の登場が1962年なので、54年間継続したことになる。

なお、はまなすの廃止に伴ない、サンライズ瀬戸・出雲は下記の「最後の」という形容詞を獲得することとなる。

◯最後の定期夜行列車
◯最後の寝台・座席を混結した夜行列車

サンライズはノビノビ座席を連結しているので、座席・寝台併結列車はまだまだなくならない。あさかぜのナロ20以来続く寝台特急への座席車連結の伝統だ。それにしてもサンライズも登場から20年近い。先輩583系は、登場20年後の1988年にはほぼ本来の用途から外れてしまったことを考えると、まだまだ285系には頑張ってほしいものだ。

<a href="https://twitter.com/daitetsuSL/status/711753346185613312" target="_blank">大井川鐵道公式Twitter</a>によるご指摘(笑)により、一部内容を修正いたしました。

そして明朝の青森駅へ

列車は青函トンネルを抜けてようやく本州へと上陸するがまだ暗い。蟹田に停車、ようやくあたりが少し明るくなってくる。

青森到着7、8分前になり、再びハイケンスのセレナーデが流れる。青森運転所を右手に見ながら、到着案内の放送が流れる。車掌さんはずっと通し勤務だ。

「今日は、急行はまなすをご利用下さいましてありがとうございました。またのご利用をお待ちしております。まもなく終着青森です。降り口は3番線で左側です」

終着、青森駅に到着

簡潔ながら丁寧なアナウンスが終わる頃には列車は速度を落とし始め、定刻の6時19分、青森駅3番ホームにすべり込んだ。

ED79はすぐに切り離され、機回しされる。
ED79はすぐに切り離され、機回しされる。

なぜ、青森駅の機回しはあんなに急ぐのだろう? 列車が到着するやいなや、ED79は切り離されてしまう。あけぼのもすぐに切り離すが、それでももう少し余裕はあった。どっちにしても、現在青森駅1・2番線の先端は立ち入り禁止になってしまっているので、向かい側のホームから編成写真を撮ることはできない。

青森運転所までのエスコート役DE10がすばやく連結される。
青森運転所までのエスコート役DE10がすばやく連結される。

函館方には、青森運転所までのエスコート役、DE10がすばやく連結される。旋回窓が凛々しい。

しつこいようだが14系座席車と寝台車の連結部。
しつこいようだが14系座席車と寝台車の連結部。
白煙を上げて青森駅を発車する回送列車。
白煙を上げて青森駅を発車する回送列車。

ほどなく、DE10の煙突から白煙が立ち昇り、青森運転所への回送列車が発車する。

ありがとう、急行はまなす。右側には東北本線740キロポストと、奥羽本線485キロポストが。
ありがとう、急行はまなす。

14系客車の後ろ姿を見守る。JR西日本だと、律儀に「回送」幕を掲出しそうなところだが、テールマークは「はまなす」のままだ。右側には東北本線740キロポストと、奥羽本線485キロポストが。軌間や会社が分断されてしまったとしても、青森までの旅路の長さを物語るキロポストが残っていることは嬉しい。

客車たちの帰りを見届けてから青森運転所へと単機回送されるED79。
客車たちの帰りを見届けてから青森運転所へと単機回送されるED79。

牽引機のED79はそれから10分以上停車していたが、やおら単機で客車たちの後を追って青森運転所へと去っていった。

本日はご乗車まことに有難う御座います。
恐れ入りますが、お手持ちの乗車券を拝見させていただきます。
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