駅長室 (このサイトについて)

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国鉄型車両、そして国鉄色と呼ばれる塗装がひとびとを魅了してやまないのはなぜでしょうか?

それは、彼らが活躍した時代が、この国がいちばん元気だった時代であると同時に、鉄路が交通手段の王者としていちばん輝いていた時代だったからではないでしょうか?

増大する輸送需要を賄うために急ピッチで開発された車両たちではありますが、その造形、色彩を含めたデザインは、普遍的な美しさに満ち満ちており、その輝きは何十年経っても色褪せることがありません。

はやいもので、国鉄が民営化されて三十年ちかい年月が過ぎ去り、国鉄型車両は急激に淘汰されつつあります。

“jnr.tokyo”などと大それたドメインを名乗っておりますが、東京鉄道管理局などと言い張る積りは毛頭ございません。

「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく」ではありませんが、当サイトを訪れれば、束の間古き良き国鉄時代の空気に浸っていただけるよう想いを込めて「国鉄のりば」と名づけさせていただきました。

記録がてら、おざなりに駅等で撮影した多少お見苦しい写真も節操無く掲載していく予定でございますが、今も残る国鉄色車両や国鉄時代の遺産をファインダーに収めた記録の一部をご覧いただければ幸いです。

平成二七年七月 管理人敬白

管理人について

167系?デカ目湘南色の伊豆マリン号。
167系?デカ目湘南色の伊豆マリン号。デフロスタ装備、スノープラウなしという出で立ちに複雑な遍歴が浮かぶ。

30代男性、職業はデザイナー。ウェブからエディトリアルまでこなす。

幼少の頃、実家が福島機関区のそばで、赤い電機の入れ替えを日がな眺めながら育つ。

10歳のとき、親から借りたローライ35で熱海まで一人で撮影に行き、撮り鉄デビューする。

その頃の写真はあまりの下手さに廃棄してしまったが、いま思えば惜しいことをした(残っている数少ない一枚が右の写真。デカ目湘南色はネット上でもなかなか出てこないので上げてみた)。

東北新幹線開通後も、「つばさ」「あいづ」を利用して帰省する少年時代を過ごす。

現在、小名木川線と新金線がすぐに撮影に行ける圏内に在住。

職業柄、駅名票やサイドボード等サインのタイポグラフィに関心があり、「新ゴ」が氾濫したデザインに一石を投じられないか模索中。

ちなみに、父方の祖父が旧国鉄門司鉄道局の折尾操車場(東折尾駅・1952年〜1984年)の助役でした。

本日はご乗車まことに有難う御座います。
恐れ入りますが、お手持ちの乗車券を拝見させていただきます。
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