いすみ鉄道のキハ28・52気動車急行「外房」に乗りに行く(1)

いすみ鉄道のキハ28・52気動車急行「外房」に乗りに行く(1)

千葉県の大原ー上総中野間を結ぶいすみ鉄道(旧国鉄木原線)では、JR西日本から転属してきた国鉄型気動車のキハ28‐2346とキハ52−125が土日・祝日に急行列車として走っている。かつて気動車王国と呼ばれた千葉が、いままた国鉄型気動車の楽園として脚光を浴びている。

20数年ぶりの房総特急で大原へ。

外房線大原駅
外房線大原駅

2015年3月。東京駅7時15分の「わかしお1号」で大原へと向かう。成田エクスプレス以外の房総特急に乗るのは20年以上ぶりだ。衰退が甚だしいのでどんなものか戦々恐々としていたが、さすがに週末の1番列車なので、ゴルフ客などで車内は賑わっておりひと安心。とは言っても列車はたったの5両編成なのだが・・。

考えてみれば、いま残っている在来線の特急というものは、ほとんどが県庁所在地(かそれに準ずる県内の主要都市)同士を結ぶ都市間輸送がメインで、それ以外の観光地向け特急はどれも衰退の一歩をたどっている。伊豆半島へ向かう踊り子もひと昔前に比べればだいぶ減ってしまったし、「草津」や「くろしお」などを見ても、車齢20年を超す車両で国鉄型車両を置き換えている現状を見ると、あまり力が入っているとはいえない。

さらに房総特急というのは特殊で、千葉県のなかに張り巡らされた鉄道網の各方面に向けて特急を走らせているものだから、1つの県にこれだけ多種の特急が走っている県はめずらしい。安房鴨川、館山、鹿島神宮、銚子、どれも人口5万人規模の都市にすぎない。国鉄時代であれば中小都市にこまめに停車して乗客を拾っていた「急行列車」が担っていた輸送形態に近い。

わかしお編成図
モノクラス10連で全車自由席、分割あり、さらに途中から普通列車となれば、これはもう急行列車の系譜だ。

スピードの優位性があればまだしも、アクアライン経由に比べれば距離も遠回りで時間もかかり、さらに東京駅のロケーションも最悪となれば、衰退するのは火を見るよりも明らかだ。いまも「わかしお」が11往復も残っているのは逆に奇跡的だといえるかもしれない。

そんなことを考えているうちに、東京を出てから1時間20分足らずでわかしお号は大原へ8時32分に到着。ここは2004年までは横須賀線直通・総武線快速の外房線乗り入れの終点だったが、全国的な列車運転区間短縮の波に飲まれ、いまは上総一ノ宮止まりとなってしまった。いまは夜に1本、勝浦行きの京葉線経由の快速が運転されているが、これはオールロングシートの通勤電車だ。

東京から大原まで1本で行こうとすると、特急「わかしお」に乗るしかない。シンプルながら房総の海を連想させる清楚な駅舎だけは改築せず残って欲しい。

駅前もいいムードだ。
駅前もいいムードだ。

駅前の居酒屋も、潮風に晒されたトタン板がよき風情を醸し出している。

キハ28/58系と20数年ぶりのご対面?!

送り込みの上り快速100Dが大原に到着。
送り込みの上り快速(100D)が大原に到着。個人的には「快速」幕も好きだ。

8時57分、送り込みの上り快速(100D)が大原に到着。キハ28・キハ52は末端部の「鈍行成り」を除けば基本的に急行運用にしか入らないので、いわゆる「乗り得列車」ということになるが、大多喜8時28分発のスジなので、観光客がこの列車に乗るのはなかなか難しい。

キハ28・58系にご対面するのはいつ以来だろう?と考えてみたが、どうも前回の記事で紹介した太多線のキハ28以来23年ぶりのようだ。鉄道からまったく離れていた時期もあるから致し方ない。それに、よく分からない地方色のカラーリングも多かったので、あまり気に留めていなかったのだ。

Screenshot

1992年・夏、美濃太田駅。太多線のキハ58-733(海ミオ)

今から23年前、1992年・夏。北陸旅行の帰り。美濃太田駅にて、太多線のキハ58ー733。

目の前によく整備された美しいキハ28が停車している。夢のようだ。DMH−17エンジンも機嫌がいいのか、盛大にカラカラとアイドリング音を立てて歓迎してくれている。

キハ58系といえば、チャンスを逃したのは、山形新幹線開業直前まで運転されていた臨時急行「ざおう」である。時刻表で調べて、帰省時に乗りたいと子ども心に考えていたが、早く帰りたいであろう親に言い出せずけっきょく実現しなかった。うろ覚えの記憶では列車番号はDだったはずだ。12系客車は91年に運転されている写真が出てきたが、キハ58に関しては検索してもでてこない。おそらく、上野駅にキハ58系が乗り入れたほぼ最期の運用だったと思うのだが・・。だれかご存じの方がいらっしゃいましたら教えて下さい。

2015年春から、大型のヘッドマークを掲出

2015年3月から大型のヘッドマークへ変更。
2015年3月から大型のヘッドマークへ変更された。

今年2015年の春から新しくなった特大の差し替え式ヘッドマーク。このタイプは昭和45~46年ごろまで使用されていたという。まさに石油ショック以前、高度経済成長期の人びとの夢と希望を載せたヘッドマークというわけだ。153系や157系が付けていたような羽根の縁取り付きのヘッドマークだ。子どものころ雑誌で見て、そのキッチュさと強烈なインパクトにド肝を抜かれたものだが、21世紀になってホンモノにお目にかかれるとは思わなかった。

いすみ鉄道のヘッドマークは、基本的に土曜日が「夷隅」、日曜日が「そと房」、祝日はヘッドマークなし。朝から雨が降ったら運転士が好きなヘッドマークを付けていいというルールがあるそうだ。いすみ鉄道の鳥塚社長がブログで、雨の日にいつもどおりに仕業に入るサービス精神のない運転士もいる・・・と書いておられたが、個人的にはヘッドマークを付けずに黙々と任務をこなす急行型車両の姿に心打たれるものがあるので、どうか運転士さんを責めないでほしい。それならカンなしで運転する祝日に来い…?それはごもっともです(笑)。

本日は「雨の日スペシャル」でした。 - いすみ鉄道 社長ブログ

本日は「雨の日スペシャル」でした。 – いすみ鉄道 社長ブログ

本日は雨降りの予報が出ていました。雨は朝のうちに上がりましたが、こういう雨の日は、いすみ鉄道は「雨の日スペシャル」として、キハはいつもと違うヘッドマークを付けて運転します。
キハ28の連結器部。
キハ28の連結器部。

キハ28の連結器部。LED化されたテールライトは若干オリジナルから表情が変わってしまっている。スノープラウが北国っ子であることを物語っているが、房総仕様としてはたまに取り外してみてもよいのでは、と思う。まあ、先日のような衝突事故があることを考えると、排障器としてあったほうがよいのかもしれない。

美しい機能美にあふれたキハ28の運転台。
美しい機能美にあふれたキハ28の運転台。

美しい機能美にあふれたキハ28の運転台。この内張りの「淡緑3号」を見るとホッとする。いまはあまり使われない60年代の流行色だが、当時の公団の団地なども内装のあちこちに、この「淡緑」が使われている。素晴らしい色彩センスだと思う。

キハ28 2346の形式表記
キハ28‐2346の形式表記

キハ28‐2346の形式表記。「赤11号」で墨跡鮮やかに描かれている。

急行「そと房」の列車名サボ。
急行「そと房」の列車名サボ。

急行「そと房」の列車名サボ。これだけ年季が入っていると絵になる。

指定席のサボ。右下の「千気」は千葉気動車区の意。
指定席のサボ。

指定席のサボ。右下の「千気」は千葉気動車区の意。

「千カウ」は勝浦機関区の所属表記。
「千カウ」は勝浦運転区の所属表記。

「千カウ」は勝浦運転区の所属表記。旧国鉄木原線の所属車両は、昭和50年ごろまで勝浦機関区(勝浦運転区?)へ配属されていた。

キハ28のヘッドライト。
キハ28のヘッドライト。

ヘッドライトのアップ。よく見ると、ステンレス?の縁取りがあしらわれ、113系や165系などの電車よりも凝ったデザインであることがわかる。ヘッドライトをオーナメント的に装飾しようというキハ82系から続くデザインの共通性が感じられる。

「日本国有鉄道」そして「帝国車両・昭和39年」の製造銘板。
「日本国有鉄道」そして「帝国車両・昭和39年」の製造銘板。

続いてチェックしなければならないのはやはり妻部。きちんと残っている「日本国有鉄道」そして「帝国車両・昭和39年」の製造銘板。帝国車両という勇ましい社名は、かつて大阪府堺市に存在した車両メーカーだ。1968年(昭和43年)には東急車輛に吸収されてしまったので、現存する車両はかなり少ないと思われる。調べてみたところ、大井川鐵道の元南海モハ21000形も帝国車両製だそうだが(土地柄、南海電鉄の車両を多く製造)…まあこれも動態保存のようなものですね。あとは、関西に残っている103系などにも帝国車両製があるようだ。

さっさと車両に乗り込めよ、といいたいところだが、ディテールを観察しているとあっという間に時間が経ってしまう。次回はキハ52のエンジン音もお届けしたい。

続編はこちら

いすみ鉄道のキハ28・52気動車急行「外房」に乗りに行く(2)

キハ28の車内を観察。日本人の心の原風景「里山」をゆく気動車急行。
本日はご乗車まことに有難う御座います。
恐れ入りますが、お手持ちの乗車券を拝見させていただきます。
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