DD51重連が牽く旧型客車
正午前の水上駅。この駅のホーム上屋も美しい。
12時10分、DD51重連+4Bの列車が定刻通り入線してきた。
思ったより曲線がきついので、後ろ2両が切れてしまったが、他の人のブログを見ていたら、DD51重連に4Bは寂しいのでわざと切っているという御仁もいるという。
停車しても3両目までしか入らなかった。DD51重連は長い・・・。そして架線柱が邪魔だが、まあ仕方ない。
向かい合うDD51と旧型客車。覗きこむ女の子。かつて北海道から九州までどこでも見られた光景だ。いい絵だ。
連結面マニアとしては、各車両の連結面も押さえておく。
スハフ32はTR23、オハ47はTR23H台車。軸受の形状が異なる。
同じオハ47でも乗降扉の窓が異なる。
オハ47−2246とオハニ36−11の連結面は、架線柱にかかってしまうのでなし。代わりにオハニ36−11単体の写真を。TR52A台車になると、グッと近代的な装いだ。そして、テールに無粋な反射板を付けていないのもいい。
ところで、上越線は戦前から電化されていたほどの「近代的な幹線」であることは知られているが、逆にいえば客車列車も早い時期から駆逐された。
たとえば、上野ー新潟間直通の客車普通列車は、1964年10月改正以前に遡らないと見つけられないという。
上越線経由 上野~新潟の普通客車列車の末期の時刻 : Rail・Artブログ
上野発、長岡止まりであっても、ヨン・サン・トオ以降は存在しなかったそうだ。
上越線といえば、小さいころ、ヘソ曲がりなうちの父親の引率で、上越新幹線が開通しているにも関わらず臨時の急行佐渡で新潟まで家族旅行したことを思い出す。ループ線でキャアキャアはしゃいでいたのを覚えている。新潟からはさらに越後線で海沿いの友人宅へ。大旅行だった。
そうこうしているうちに、DD51は引込線へ。
折り返しは夕方なので、DD51とはここでいったんお別れ。
後ほど高崎駅で出迎えることとする。
上りの快速は17:20高崎着。10月下旬ともなると完全に辺りは闇に包まれている。夜のプラットフォームに佇む姿もよく似合う。
この「DL重連レトロみなかみ」号、乗客はちゃんと分かっている年配のグループの方が目立ち、落ち着いてよい雰囲気だった。ずっと高崎支社のプレスリリースを見ているが、2013年以降は設定されていないようだ。また運転されないものだろうか。今度はちゃんと往復とも乗車するから。
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