都心に残る国鉄駅。総武快速線新日本橋駅
大都市のターミナル駅は、国鉄民営化以降にリニューアルが図られ、いまや国鉄時代の面影を探すことは難しい。ところが、東京駅のすぐ隣、総武快速線新日本橋駅はサインや駅名標などに今も国鉄スタイルのデザインが残り、知る人ぞ知る「国鉄遺産駅」として密かな脚光を浴びている。
「国鉄末期」の昭和47年に開業
新日本橋駅。総武本線で東京を出た次の駅だが、非常に地味な駅だ。地下鉄の接続駅としては「三越前駅」がすぐそばにあるが、当時の国鉄は公共体であったため、企業名の「三越」を駅名に取り入れることができず(NHKと同じだ)、「新日本橋」と名乗ることになった。
この区間の総武快速線が開業したのは、昭和47(1972)年。今から44年も前になるが、国鉄の駅としては非常に新しい部類に入る。分割民営化された時点でまだ開業からわずか15年だった。そのためか、総武快速線の各駅のホームは国鉄型の駅名標やサインが数多く残っている。
美しいラインデリア型駅名標
新日本橋駅のデザインで特筆すべきなのは、線路と平行に設置された換気用ラインデリアと一体に設置された駅名標だろう。
国鉄特急色と同じ赤2号だろうか。赤地に白で隣の駅名が記されている。空調の吹き出しケーシングを利用した美しいデザイン。東京という大都市の地下に近代的な都市鉄道を開通させんとする国鉄の矜持が伝わってくるデザインだ。
ちなみに、馬喰町駅にも同じデザインの駅名標が設置されていたが、こちらはペンキで塗りつぶされてしまっている。
のりば案内も国鉄スタイル
コンコースに設置されたのりば案内も、いまやもう23区内ではなかなかお目にかかれない国鉄スタイルだ。横須賀線の東京地下駅直通は昭和55(1980)年なので、こののりば案内はその際に設置されたものと推測される。
今や横須賀線はコース取りの不利から京浜急行に押され、逗子以南でのプレゼンスは著しく低下してしまっているが、この当時は横須賀・久里浜方面と誇らしげに書かれている。また、千葉方面もいまや快速の到達しない外房線「大原」が案内されている。
地下鉄銀座線三越前駅への乗り換え口を示す看板。さすがに「営団」とは書かれていないが…。半蔵門線はまだこのころ影も形もなかった。
文字数を合わせて改行したので二行目が「すからおやめください」。
コンコースはさすがに古さが目立つが・・・
階段を上がり、改札のあるコンコース階に上がってみよう。
やはり東京の隣の駅とは思えない。天井の金属パネルはさすがに汚れが目立ってきているが、開業時は美しく輝いていたのだろう。
トクトクきっぷの掲示板。国鉄時代、なぜかトクトクきっぷのマスコットはラクダだった。
出口の案内も懐かしい国鉄スタイル。コレド室町も近いのだが、「何それ?」という風情である。
人影もまばらな、長い長い地下道に黄色い案内板。
この新日本橋駅も、東京オリンピックに合わせてリニューアル・・・したりしないでいつまでも残ってほしい。
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馬喰町駅の写真も観てみたいです。