福岡市貝塚公園の20系客車「ナハネフ22-1007」
戦後の国鉄車両史に燦然と輝く名車といえば、ボンネットの「こだま形」151系、そして元祖ブルートレイン「あさかぜ形」20系客車がなんといっても双璧であろう。
ともに、日本が戦後の焼け跡から立ち直ろうとする昭和33(1958)年に誕生し、東海道本線の特急黄金時代を築き上げた。今はなき東京駅の14・15番ホームに151系特急電車と20系客車が並んで停車するシーンは、戦後鉄道史を彩る名場面といえるだろう。
だが、151系のボンネットスタイルがその後も485系や489系に引き継がれ、近年まで比較的馴染み深い存在であったのに対し、20系の優美な姿は人々の記憶から次第に消えつつあるように思える。
来年2018年で誕生から60年を迎える20系客車が、いまも屋外で美しい状態で保存されていると聞いて、九州は福岡市の貝塚交通公園を訪ねた。
「あさかぜ形」健在なり!
ブルートレインの元祖となった走るホテル「あさかぜ」の終着駅であった博多駅にほど近い福岡市東区の貝塚交通公園。ここに、20系客車の緩急車「ナハネフ22-1007」が保存されている。
貝塚交通公園は、博多駅から地下鉄に乗り、中洲川端駅で貝塚線に乗り換えて20分ほど。終点の貝塚駅下車。博多から電車1本では行けないのが不便だが、近くにはJR貨物の博多臨港線が通っている。有名撮影地である多々良川橋梁も近い。ED76やEF81の撮影と絡めて訪れると1日飽きることがない。
貝塚駅を出ると、すぐに貝塚交通公園だ。中を進んでいくと、青い車体のナハネフ22はすぐに見つかるだろう。20系の濃紺のボディーは、玄界灘の青空を映して美しく輝いている。塗装の剥がれはあるものの、末期の「はまなす」や「北斗星」の車両の痛みに比べれば美しい状態を保っている。
正面から。湘南型の2枚大窓に流線型スタイル、連結器部分のスカートなど、20系の特徴を見て取ることが出来る。白Hゴムなのも美しい。
ギリギリ引いて、サイドビューを撮影。整然と並んだ白Hゴム支持の大窓が美しい。
茶色の機関車や客車ばかりだった時代に、20系のカラフルなカラーリングは人々の目にどう写ったことだろうか。
複雑な曲線で構成された車端部は、見る角度によって微妙に表情を変えるため、見飽きない。
客車の妻面にデザインのバランスを取るために実用性のないスカートを設置するという美的センスは、20系、そして初期のカニ24までは継承されたが、その後の簡素化で消えてしまった。あ、カシオペアのE26系はスカートありますね・・・。
ロール式の方向幕も151系、そして0系新幹線ですらデビュー時は差し替え式のサボだったことを考えると、先進の設計だ。列車名と号車、始発・終点がそれぞれ分かれた独特のスタイル。編成の頻繁な組み換えや、さまざまな行き先に対応させるための苦肉の策だ。列車名を単独の方向幕とするスタイルは、今のJR西日本にも受け継がれている。
折り戸式の扉は車体の下端ギリギリまで伸びている。もちろん当時の低いホームに対応するためデッキはステップ式だが、ステップ部の外板を485系やキハ58系のように延長せず、ツライチに収めたところにデザインへの尋常ではないこだわりが表れている。
TR55形台車
20系客車のTR55形台車は、客車用として初めて本格的に空気ばねを採用した画期的な構造。
151系のDT23/TR58台車とともに、大きなベローズ式空気バネが昭和30年代の特急用台車の特徴。いかにも乗り心地がよさそうな見た目。
いまも東武200系「りょうもう」に乗れば、デラックスロマンスカー1720系から流用されたFS370Aという同時代の台車が使用されているので、懐かしい乗り心地を体験することができる。まあ、台車乗り鉄というのもかなりレア人種だと思いますけどね・・・。
博物館の台車3 / “走るホテル”20系|台車近影|鉄道ホビダス
20系客車 室内
さすがに車内に立ち入ることはできないが、見学用のホームからは寝台車内部のようすもつぶさに観察することができる。
昼間の座席使用時。客室側の窓の天地を高く取り、採光性にも配慮している。
二段目寝台のヒンジ部。さすがにここは機能性重視で無骨な設計だ。だが、左下の肘掛け部に内蔵されたテーブルのデザイン上の配慮には感服せざるを得ない。
右側の中段寝台を引き出した所。寝台幅は520mmなので、お世辞にも広くはない。
寝台を展開し、転落防止用ベルトをセットした状態。
シーツを敷き、完全に寝台をセットした状態。6名分のスリッパが並ぶと壮観だ。上段寝台は画角に収まらないほど高い位置にある。窓の上の金属の手すりにハシゴを引っ掛けるが、ハシゴはないようだ。
3本帯への修復計画なるか
このナハネフ22-1007だが、じつは今年2017年6月にクラウドファンディング(インターネットでの資金調達)による修復の計画があった。「あった」というのも、私がプロジェクトを知ったときにはすでに終了してしまっており、残念ながら目標額は達成することができなかったのだ。
企画者は、東京で精密機械部品輸入・販売企業を経営する高橋竜さん。
「公園のブルトレ」修復に取り組む社長の熱意 | 旅・趣味 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
もし資金が調達できた場合の修復内容は以下の計画だった。
・窓枠をいったんすべて外し、窓のH型支持ゴムも国鉄時代を彷彿とさせるグレー(白)色のものを特注で新規作成し、すべて新品に取り替えます。
・屋根部分塗装(国鉄ねずみ色1号)
・側面部分塗装(国鉄青15号+国鉄クリーム1号)
・現状のクリーム1号帯2本から、上部にもう1本追加します。
・また、3本の真ん中になる帯の位置が若干低いため、テールサインのH型ゴム上部のラインに合わせて高めに修正します。
・同時に、折戸扉の部分にも帯を入れますが、手すりには入れません。
・折戸(両側)右上部分に★マーク(グレー)復元
修復が計画通り進み、塗装が帯3本となれば、20系デビュー当時の「寝台特急」の姿が蘇る予定だった。
このプロジェクトだが、鉄道ファンの間でもそこまでは認知が広まっていなかったように思う。高橋さんは現在、次のプロジェクトとして「『国鉄の香り』ルームフレグランス 初の商品化」というプロジェクトを進めており、こちらはめでたく開始わずか5日で目標額を達成した。出資者には、国鉄車両でおなじみ青いモケットのクッションや、国鉄車両の香りのフレグランスが贈られる。
資金調達自体はまだ受け付けているのと、今後再びナハネフ22-1007の修復プロジェクトが動く可能性もあるので、興味の有る方はチェックしてみてほしい。
ついに!COQTEZ 『 国鉄の香り 』ルームフレグランス 初の商品化(髙橋 竜) – クラウドファンディング Readyfor (レディーフォー)
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はじめまして、貝塚公園で保存されているこのナハネフ22 1007修復プロジェクトプロジェクト委員会の高橋と申します。
この記事の中で、2年前に実行した修復基金を募るクラウドファンディングプロジェクトがすでに終了していることに触れられていましたが、9/28 より 11/29 23時まで、地元の小学5年生と一緒にリベンジでクラウドファンディングプロジェクトを開始しております。
目標達成に向けて広く皆様からのご支援をいただきたく、何卒よろしくお願い申し上げます。