総力特集 さらば月光形581・583系

総力特集 さらば月光形581・583系

そして、ゴッパーサンは伝説へ

伊東への団臨の返却回送で大宮に停車する583系N1N2編成。2012年2月25日
伊東への団臨の返却回送で大宮に停車する583系N1N2編成。2012年2月25日

その後も、TDL臨などの団臨で頻繁に首都圏に顔を出していた583系。ありふれた風景だったので、日によっては自分以外誰も撮影者がいないこともあった。

リバイバル「みちのく」小山駅にて、2015年6月28日。
リバイバル「みちのく」小山駅にて、2015年6月28日。

こちらは、2015年6月に運転されたリバイバルみちのく。水戸から青森を目指す団臨だった。東日本大震災のため常磐線が不通のため、水戸線を経由して東北本線へ入り、青森をめざした。写真はまさに小山駅へと入線するところ。

2015年7月14日 583系「みちのく」の巻 はこちら

583系、最後の尾久公開

そして2016年に全般検査を通過。しばらくは安泰と思われたが…。2016年11月の尾久車両センター公開で583系N1+N2編成の展示が行われたが、これが最後の晴れ姿となってしまった。

クハネ583-8

クハネ583-8。昭和45年8月26日新製、青森運転所配置 川崎重工製。クハネ581/583はクハ481-200番台より先に開発されたので、あまり知られていないが特急型電車として初の「正面貫通型」である。683系やE259系にも引き継がれた正面貫通扉の嚆矢である。ちなみに、気動車ではキハ80系82形のほうが先に正面貫通扉を装備している。

クハネ583はMGを小型化し床下に搭載したため、機械室がなくなっており、それがクハネ581とのデザインの差異になっている。その理由は、慢性的な輸送力不足と混雑解消のため、将来の15両編成化を見越してのマイナーチェンジだったという。

クハネ583-8の製造銘板。昭和45(1970)年川崎重工製。日本国有鉄道の銘板は外されている。

モハネ582-106

モハネ582-106。昭和47年2月4日新製、南福岡電車区配置 川崎重工製。昭和50年、山陽新幹線開通に伴ない青森運転所へ転属。

モハネ583-106

モハネ583-106 昭和47年2月4日新製、南福岡電車区配置 川崎重工製。同じく昭和50年、山陽新幹線開通に伴ない青森運転所へ転属。なお、このユニットは583系の最終ユニットである。

新製配置が南福岡電車区と聞いて「西日本に配置されたのは581系のモハネ581・580のユニットでは?」と疑問を持たれる方もいるかとは思うが、じつはモハネ581・580は昭和42年から43年初旬にかけてわずか12ユニットのみ製造と、思いのほか勢力は少ない。その後、昭和43年度以降は583系の製造に移行し、のべ106ユニットが製造されたため、電動車の主力は圧倒的にモハネ583・582なのである。ただ、制御車(Tc)についてはクハネ581がその後も昭和45年まで製造が継続されたため、制御車についてはクハネ581がのべ41両、クハネ583がのべ30両となっている。やはり先頭の制御車のイメージが強いということであろう。

【参考】581・583系形式別製造両数

クハネ581 41両 製造時期:昭和42年9月〜昭和45年2月
モハネ580 12両 製造時期:昭和42年9月〜昭和43年3月
モハネ581  12両 製造時期:昭和42年9月〜昭和43年3月

クハネ583 30両 製造時期:昭和45年6月〜昭和47年2月
モハネ582 106両 製造時期:昭和43年6月〜昭和47年2月
モハネ583 106両 製造時期:昭和43年6月〜昭和47年2月

サハネ581 57両 製造時期:昭和42年9月〜昭和47年2月
サロ581 35両 製造時期:昭和43年8月〜昭和47年2月
サシ581 35両 製造時期:昭和42年9月〜昭和47年2月

見ての通り、計35編成が落成したわけだが、クハネ581の製造両数が奇数なのは…? 事故廃車は発生していないので理由はちょっと不明である。誰か分かる方は教えてほしい。

モハネ582-100

モハネ582-100 昭和46年12月17日新製、青森運転所配置 川崎重工製。

モハネ583-100

モハネ583-100 昭和46年12月17日新製、青森運転所配置 川崎重工製。

クハネ583-17

クハネ583-17 昭和45年8月25日新製、青森運転所配置 川崎重工製。

晩秋の夕陽を受けて光り輝く583系N1+N2編成。
晩秋の夕陽を受けて光り輝く583系N1+N2編成。

高度経済成長たけなわの1967年に華々しくデビューした、世界初の寝台・座席兼用電車の581・583系。登場わずか10年足らずの1975年には、山陽新幹線の開通に伴って活躍の場を奪われた。

山陽新幹線の全通と東北新幹線工事の進ちょく、高度成長経済の終焉に伴う旅客輸送需要の減退と自動車・航空機等との競争激化という外的要因および登場以来11年間日車キロ平均1000キロを超えるという他の特急電車より4割も多い走行距離は、寝台座席両用というその複雑な機構と相まって彼女らの体を確実にむしばみつづけてきた. その結果今後の身のふり方が現実的な日程として話題に上ることになった. すなわち東北新幹線開通時には、その特殊構造から彼女らはその残された主たる働き場所を完全に奪われることになり、庫車あるいは第2の職場と任務を求めて改造される運命にさらされている訳である.

鉄道ファン1979年10月号「特集:寝台電車581・583系」「はじめに」より

端正なクハ583のサイドビュー
端正なクハ583のサイドビュー

彼女らが、それから40年近くも現役を続けることを誰が予想できただろうか。それも、かつての盟友485系より生き永らえるとは―。この不世出の名車の在りし日の勇姿を思い浮かべつつ、結びとしたい。

ゴッパーサンよ、永遠に!

(参考文献:鉄道ファン1979年10月号「特集:寝台電車581・583系」、Rail Magazine 1993年4月号「特集:583 my love! 生き続ける”月光型”」、鉄道ピクトリアル1993年6月号「特集:JR583系電車の現状)

本日はご乗車まことに有難う御座います。
恐れ入りますが、お手持ちの乗車券を拝見させていただきます。
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