今はなき八王子機関区のこと。
わたしが育った八王子は、言わずと知れた交通の要衝であり、八王子駅構内にはかつて「八王子機関区」なるものが存在していた。
中央本線の平坦線から山線への境界にあるため、機関車の付替えを行なうために機関区が設置された、という理由付けは納得できるが、EF64が配置されていたのは80年代のごくわずかな期間だけのようだし、最後いつごろまで車両配置があったのかもきちんと資料を追わないとわからない状態になっている。
八王子機関区所属機関車の変遷 – 国鉄時代の車両と風景(70年代前半)
80年代ごろまでの車両配置は、EF60やDD13が中心であったことはわかる。肝心のEF64は甲府や篠ノ井に配置されていたようだ。
さらにその後、八王子総合鉄道部ー新鶴見機関区八王子派出と名称が変更され、その八王子派出も平成20(2008)年に廃止されたとされている。ところが、今回紹介する写真は2009年6月に訪れたときのものだが、詰所の表札には「新鶴見機関区八王子派出」と堂々と書かれているー。
あまりに近すぎるがゆえに、私も注意して足を運ぶことなく、いつの間にか消えていった首都圏の機関区の最晩年を紹介したい。
機関区は、駅の南側に位置しており、いくつも機関庫が並び堂々としたたたずまいだった。
八王子駅の北口は一大繁華街を形成しているが、南口は再開発待ちで草ぼうぼうの空き地などもあり、昔ながらのたたずまいが残っていた。
南口を出て、線路沿いに伝っていくとほどなく詰所が見えてくる。
これが問題の表札で、前年に廃止されたはずの組織名が掲げられていた。いずれにせよ、堂々とした表札がここが現役の施設であることを物語っていてうれしい。
この頃はまだ機関車の留置もしばしば見られた。
もっと東京寄りに進むと、線路沿いのお約束で、いまも使用しているのかどうか定かではないトワイライトな建物群が姿を現す。
もっと行くと、EH200-12が留置中。
そして、有名なターンテーブルも残っていた。これは2013年に解体された。
また、田端所属のEF65が留置されることもあり、基本的にはいつ来ても機関車を見ることができた。そしてそれが当たり前だと思っていた。
そして、あらかた機関区の解体が終わった2011年12月の様子。
1枚めと見比べてもらうとわかるが、ホッパ車の奥の機関車はすべて更地になっている。詰所はまだ残っている。
2013年8月に訪れたときのもの。
雑草が生い茂った線路跡が物哀しい。
まだ入換機としてDE10が頑張っていたが、八王子駅構内の入換機も、いまは無粋なHD−300に置き換えられてしまった。DE10-1586は昭和48年に直方機関区に新製配置、昭和53年香椎機関区、昭和61年門司機関区、その後愛知機関区を経て新鶴見へ配転し、いままた岡山に配置されているという流浪のカマだ。
だんだん鉄道貨物の光景が消えつつある八王子駅だが、じつはまだ油槽所への専用線が残っており、根岸などから八王子行きの石油専用貨物が今もなお運転されている。
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自分が子供の頃に育った場所がまだ載ってる
水路の上の駐輪場が懐かしい
戦後間もない頃爺ちゃんはここの整備士だったんだ