183系国鉄色あずさ・かいじ、115系スカ色デカ目を中央本線浅川鉄橋にて。
今日は、国鉄民営化からまだ間もない平成4(1992)年8月、豊田〜八王子間の中央本線浅川鉄橋にて撮影した183系あずさ・かいじ・115系スカ色デカ目、201系など、国鉄型車両オンリーだった当時の中央線の日常の風景を紹介したい。
昨日2018年3月16日限りで、豊田車両センター所属の189系で運転されている快速富士山、ホリデー快速富士山がE257系に置き換えられ、1973年10月以来45年に渡り、183系・189系が中央東線を日常的に走ってきた風景が幕を閉じた。
今日は、国鉄民営化直後の平成4(1992)年8月、豊田〜八王子間の中央本線浅川鉄橋にて撮影した183系あずさ・かいじ・115系スカ色デカ目、201系など、当時の中央線の日常の風景を紹介したい。
デカ目冷房化改造の115系スカ色3連
まず1発めは、デカ目のスカ色115系3連。デカ目・非ユニット窓に冷房化改造(AU712形集約分散式冷房装置)という初期型スタイル。この頃は東京都内にも関わらず3連という超短編成の運用がまだ残っており、駅のホームにも「3・6両乗車位置」という看板が設置されていた。といっても3連運用はデータイムにごく僅かな運用があったのみで、立川をお昼の12時半ごろに出発する韮崎行きというスジがあり、おそらくその運用だと思う。
183系国鉄色9連の「かいじ」
昭和63(1988)年に登場した「かいじ」は、当初モノクラス6連を中心に運転されていた。需要の増大に伴ない、1992年3月ダイヤ改正から10往復中6往復がグリーン車ありの9連となった。うち自由席が7両という、現在の房総特急のような編成だった。
また、甲府以西への延長運転も頻繁に行なわれ、列車名は「かいじ」ながらも長野県まで頻繁に乗り入れていた。現在の「はまかいじ」のような運転形態である。松本行きだけでなく、上諏訪行きという列車も存在した。
ちょうど、当時のダイヤ改正時のパンフレットがあったので紹介したい。
民営化後5年が経過していたが、パンフレットの写真はバリバリで国鉄色の183系である。L特急ではあるが、文面で「L特急」とはすでに表記していない。
曲線通過速度の低い183系である上に、停車駅も多いため、新宿ー甲府間は1時間45分を要していた。さらに、高尾と上野原に停車する列車があった。この高尾・上野原停車は利用者があまり伸びなかったため現在では廃止されてしまったが、土日の朝夕に高尾停車を復活させれば高尾山への観光需要に対応する気がするのだが・・。
183系国鉄色9連の「あずさ」
やはり中央東線のクイーンといえば、国鉄色の「あずさ」。これが中央線の日常だった。
「旧あずさ」色の183系グレードアップあずさ
いわゆる「旧あずさ色」のグレードアップ編成。指定席とグリーン車の窓が拡大された編成美は壮観。やはり特急は最低でもグリーン車組み込みの9連でないと風格が出ない。11連だとなおさら壮観だった。E351系スーパーあずさ登場の1年あまり前である。
スカート・種別幕なしの201系快速
中央線といえば、やはり忘れてはならないのが201系。この頃はスカートと種別幕が装着されておらず、スマートな外観だった。特快に至ってはボンネット特急さながらの差し込み型のヘッドマークを使用しており、東京や高尾では乗務員によるヘッドマークの差し替え作業が行なわれていた。
鉄道ファンの「ヘッドマーク列車特集」では、通勤電車にも関わらず紹介されていて、地元民としては少し誇らしかった。とはいえ、あまりにありふれた存在だったので写真はあまり残っていない。
115系デカ目スカ色6連
最後は、橋の八王子側で撮影した普通列車立川行き。115系デカ目スカ色6連。側面の非ユニット窓の角丸が美しい。黒Hゴムなのがちょっと残念。スキャン時の自動補正で、車両側面の車両番号表記が消えてしまっている。
構図等も色々拙いものですが、当時中学1年で、旅行の後で余ったフィルムの処理で出かけたスナップですので、在りし日の中央本線の日常の一コマを味わって頂ければと思います。
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