最後のブルートレイン、北斗星乗車記(1)上野駅篇

最後のブルートレイン、北斗星乗車記(1)上野駅篇

北海道新幹線の開業準備に伴い、2015年8月で運転を終える寝台特急北斗星。運転終了に伴い、1958年の20系「あさかぜ」以降57年に渡って運転されてきた「ブルートレイン」の歴史に幕が降りる。8月9日から10日にかけて、最初で最後の、北斗星に乗車する機会に恵まれた。最後のブルートレインの風景を点描したいと思う。

北斗星狂騒曲

北斗星大雨により運休のチケット
北斗星大雨によりウヤ

本来なら、7月16日に乗車予定のはずだったのだが、この日の北斗星は、台風の影響でまさかの運休。あわてて旅行会社に再度寝台券を依頼し、ようやく8月9日のB寝台を確保することができた。

ところが乗車のわずか2日前、8月7日には食堂車スシ24の水道故障により食堂車の営業ができなくなるというトラブルが発生。このまま食堂車が直らなかったら、最初で最後の食堂車で食事するというチャンスが失われることになってしまう―。と心配したのだが、幸いにも食堂車はほどなく修理が完了し、8月9日の便ではぶじ営業していた。

さらに出発前日には、北斗星自体のトラブルではないが、レンタカー会社から電話が入り、札幌到着後に借りる予定のレンタカーが事故を起こしてご用意できなくなってしまいました・・・。とのこと。こちらもクラスを変えることでなんとか事なきを得たのだが、本当に何が起きるかわからない。乗るまでは心配、乗っても悪天候や事故で、運転打ち切りの可能性もある。札幌に着くまでは安心できない――

北斗星狂騒曲の幕が切って落とされたのである。

客レはあと何回上野駅で見られるのだろう

見落としがちではあるが、上野駅といえばここからスタートしなければなるまい。広小路口のガード下にたたずむ「あゝ上野駅の碑」である。かつて高度経済成長期に、数多くの地方の若者たちが汽車に揺られて東京に集団就職した。たしか、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」で堀北真希演じる青森出身の女の子もC62牽引の客レで上野駅に降り立った。昭和39年、東京オリンピックの年に発表された井沢八郎の「あゝ上野駅」は、そんな集団就職の若者を題材とした歌謡曲だ。

「あゝ上野駅」の碑
「あゝ上野駅」の碑

「あゝ上野駅の碑」にも、今はなき上野駅18番線とC62が描かれている。やはり当時は「ゆうづる」の例を出すまでもなく、常磐線が花形幹線で、C62−23も水戸、平の両機関区に所属していた。なぜか煙突が短かった「ネタ釜」だったというが、それもレリーフにきちんと再現されているようだ。

なお、いつからか上野駅13番線のホームの発車メロディーがこの「あゝ上野駅」になってしまった。残念だが、そういうことではないんだなあ・・。

それにしても、上野駅で客レの姿を見ることができるのはあと何回あるだろう。9月まで運転されるカシオペアを足しても、おそらくかつて1日に上野駅を発着した客車列車の数に満たないか、せいぜい同じ程度であろう。

いつの時代にもふるさとへの郷愁をそそる、首都圏の北の玄関口
いつの時代にもふるさとへの郷愁をそそる、首都圏の北の玄関口
上野駅中央改札。昔に比べれば、大荷物を抱えた乗客は減ってしまったが・・・。
上野駅中央改札。昔に比べれば、大荷物を抱えた乗客は減ってしまったが・・・。

1932(昭和7年)年に完成した駅舎。この駅舎と、暗い地平ホーム、発着する長距離列車。上野駅とは、これらすべての要素が織りなす一大交響詩である。

※上野駅の写真は別日に撮影したものです。
本日はご乗車まことに有難う御座います。
恐れ入りますが、お手持ちの乗車券を拝見させていただきます。
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